今回UMF掲載のWEB雑誌を甲斐さんと私と鶏肉マスターさんの3人で始動することになりまして。初回はぜひ浩実さんにお願いしたいと思いオファーさせていただきました。
光栄です~
色んな浩実さんご自身の活動や甲斐良信セッションバンドでの活動やもっと広い範囲での宇都宮の音楽シーンのお話を聞いていきたいと思います。
浩実さんのことは知っている部分もありますが、全く知らない人の体でインタビューさせていただきます。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
中山浩実(なかやま ひろみ)
1990年10月25日生まれ B型 長野県出身。
音楽好きな両親のもとに生まれ,ピアノやギター等 楽器に囲まれて育つ。
幼稚園で鍵盤ハーモニカと出会い興味を持った為,小学校入学と同時にピアノを始める。
中学・高校の吹奏楽部でバスクラリネットを担当。高校では学生指揮も務める。
中学3年の文化祭でのバンド演奏を機にギターを弾き始め,初めて曲を書く(誰にも見せずにお蔵入り)。
大学進学と同時に宇都宮へ移り住み,教育学部音楽科で声楽を専攻。学内のアカペラサークルに所属。大学3年から作詞作曲を,大学4年からライブ活動を始める。
甲斐良信セッションバンドで活躍する女性シンガーソングライター。
音楽との出会い
自己紹介的なところをお聞きしたいのですが、ご出身はどちらなんでしたっけ?
出身は長野県です。
長野県のどちらなんですか。
中野市です。ながの市ではなく、なかの市なんです笑
へー なかの市というところがあるんですね。
そうなんです。
中野市にいらっしゃった頃は音楽はやられていたんですか。
もうやっていましたね。幼稚園で鍵盤ハーモニカを先生に教わって弾いたのがきっかけで小学校に上がると同時にピアノを習い始めたので、そこからずーっとですね。
かなり早いですね。
幼稚園のピアニカが衝撃だったんですよね。これが弾けたら面白いんだろうなーとその時から思いましたね。他の記憶はありませんがピアニカの記憶は鮮明に残ってますね。それで、母にピアノを習いたいといったんですけど、自分で歩いて行けるようになってからにして、と言われました。
ははは。確かに幼稚園生で歩いて通うのは大変ですもんね。
両親が共働きで送迎が出来なかったので、小学校までは我慢して、小学生になってからは通い始めましたね。
3歳の中山浩実さん。
幼少期から自作の楽器で演奏するほど音楽がすきだった。
学生時代に色々な楽器に挑戦
そこからはずっと継続して音楽されているんですか。
なんだかんだそうですね。ピアノも高校までずっと習ってましたし、中学高校は吹奏楽部にも所属しました。
ずっと音楽づくしの生活だったんですね。
浩実さんっていうと歌のイメージだったり弾き語りのイメージがあったので、ルーツはピアノやピアニカと聞いて意外でした。
人前で歌をうたったのはたぶん中学の文化祭がはじめてですね。
その時はピアノ弾き語りだったんですか。
その時に初めてギターを弾きました。
そうなんですね。ギターは中学生からだったんですね。
はい。文化祭の有志が集まってバンドでやりたいってなり、でましたね
ということは中学生の時点でピアノも、ギターもうたもバンドの経験もあったんですね。すごいですね。
いえいえ、学生なので、出来ていたかは分かりません笑
浩実さんは今もソロでやられたり、セッションでやられたりすると思うんですけどその時からルーツはできあがってた感じですね。
そうですね。なんかね。笑
でも歌ってギター弾いてというのはその後高校3年間も全然なくなりましたね。部活が吹奏楽部で忙しすぎて。。部活やって勉強して家帰って寝るという生活でした。
特に吹奏楽部とかって結構縛りが強いというか体育会系のイメージありますね。笑
ほんとに。朝起きられないからやらないと思ってたんですけど、他にやりたい部活もないしやっぱり吹奏楽部やるかと思って入りましたね。信じらんないです。
高校も長野の学校だったんですか。
長野県の吹奏楽の。自分の学力よりちょっと上だったんだけど、吹奏楽部の定期演奏会聴きに行ったら楽しそう過ぎて、勉強頑張りました。
ではやっぱり常に学校生活の中でも頭の中には音楽が占めてた感じなんですね。
本当にそうですね。ずっとそうだった気がしてます。
小学校一年生のピアノ発表会の様子。
みんなの前で演奏中の緊張感伝わってくる。
長野から大学進学のため宇都宮に
いや~すごいですね。
ちなみに長野県での音楽の活動はいつぐらいまで続いたんですか。
長野では高校3年生までですね。大学進学で宇都宮大学に来たので、そこから栃木に来たんですよ。
栃木は何かつながりがあったりとかはあったんですか。
全然無くて。当時の学力と、あとは音楽をずっとやりたかったので。実は高校進学の時点でも親に打診をしたんですけど。長野に音楽科がある高校が1つあって。そこに行きたいんだけどって。でも、今から狭めるのはちょっとってなって。
確かにその考え方もありますもんね。
それで大学行くってなった時に、音楽やりたいけど音大は、下に弟もいたので。音大は国立が芸大しかないんですよ。なので無理だから、私立の音大は4年で家が建つような学費なので。笑
たしかに音大はかなりかかるって聞きますね。
なので考えた折衷案で、教育学部の音楽科があるところっていう方向で考えました。長野にも信州大学ってあるんですけど、学力が足りず、他も考えたところ、宇都宮大学教育学部に行くことになりました。
宇都宮大学教育学部の時点ですごいですよ!
いやいや、数学科とかが上げてるだけですよ笑 学科によってばらつきあります笑
ということは学校で音楽をやりながら学外での活動もされていたんですか。
それが、4年になる頃までは学内だけでしたね。でもアカペラサークに入っていたので、そのイベントは多数出ていました。
大学時代の中山浩実さん。
アカペラサークルで活動していた。
アカペラもやられていたんですね!本当に様々な音楽をやられてきたんですね。
大学に吹奏楽団がなくて、オーケストラに一瞬入ったりもしたんですけど、あんまりそりが合わず、アカペラも興味があったので入りました。高校の時ハモネプ全盛期だったので。大学行ったら夢のキャンパスライフ!という気持ちもありアカペラサークルに入りました。しかも結構精力的に活動してましたね。その中で組んだグループで都内のアカペラのライブに出たりとかしましたね。アカペラ界隈もその時盛り上がってましたね。ライブハウスを借りて学生だけで他大学と対バンみたいなこともやってました。
かなり本格的に活動されてたんですね。
はい。結構やってましたね。アカペラでは主にリードを担当していたので、人前で歌を歌う、真ん中にたって歌うっていうのが、それで味占めちゃいましたね笑 楽しいなって。
良いじゃないですか!
そして大学って作曲の授業もあったんですよ。先生になる前提の学部だったので、音楽全般何でも、教科書にのってることは全部!という感じでした。ピアノ、歌、管楽器、弦楽器、和楽器も広く浅く勉強しましたね。そこで作曲も楽しいなと思い。。。
ただ、3年のときにゼミの一つ集中して勉強して、卒業論文ではなく、卒業演奏というのがあったのですが、分野決めで迷いましたね。。ピアノ好きだけど手は小さいし、ずーっとやってきた上手い人もいるし、と迷ってた時に歌の声楽の教授が、私のいないときに学生が集まる部屋みたいなところにふらっと遊びに来て、今年声楽を選ぶ子が少なくてさ、、、って営業に来たんですよね。「中山は声良いんだよね」って言ってたというのを友達づてに聞いて笑 その先生の声が好きだったのでOKしました。男の先生なんですけどとにかく声が良くて。もう部屋が鳴るくらいすごいんです。ここで歌をちゃんと習いました。この期間に作曲と歌が楽しいなと思い、少しずつ曲を作っていくようになりましたね。
それがソロでの学外の活動にもつながっていくんですね。
大学の時点でかなりのジャンルをやられてきているんですね!
ちなみに少し戻りますが、吹奏楽では何の楽器だったんですか。
バスクラリネットですね。音楽全般好きなのでいろいろやってきて良かったです。
甲斐良信 Session Bandとの出会い
ちなみに大学を卒業された後も活動は継続されたんですか。
4年の途中から曲を作り始めて、ライブに出たのも4年生だったので、卒業して社会人しながらライブしてた感じですね。あとは毎週時間を決めてツイキャスで弾き語り配信をしてました。ただ、場所は都内が多かったですね。アカペラ仲間のつてで誘ってもらうことが多かったです。ギター背負って行ってましたねー。
仕事お休みの時は音楽。良いですねー。
毎週行ってるとお金もかかるので月1くらいで行ってましたね。今思うとよく出来てたな、と思いますね。そして声をかけてもらえてたのも今思うとすごいなとおもいますね。
それは浩実さんの実力です!
ちなみに、弾き語りメインのイベントを中心に出演されていたんですか。
そうですね。演奏を一緒にやってくれる仲間はこのときはいなかったので一人が多かったですね。でもこの頃からバンドでもやりたいな、というのはありました。弾き語りのみで完成する曲だけではなかったので、バンドでやりたいと思ってました。なので今セッションバンドで活動できていることが最高にうれしいです。
セッションも最高ですよね!
でも浩実さんは動画などでセッションの映像や弾き語りの映像も拝見しましたが、それぞれの良さがあってどちらも素敵でした。先ほどお聞きした様々な経験が今の活動にすごく繋がっているように感じました。
本当ですか~。ありがとうございます。そうですね。色々やってきました。
ちなみに先ほどお話しにもありました甲斐良信セッションバンドさんとのつながりはいつ頃からなんですか。
1人で弾き語りしているときに、小山の花火大会のとき、古着屋さんがあって、そこの店長さんが音楽好きで、お店の外にランウェイがセットされてて、昼間はライブ、夜はファッションショーという企画があり、白鴎大学アカペラサークルに所属していた友人がその日モデルさんをやることになっていて、「音楽やってる人知らない?」ってことで私が呼ばれまして、そこで甲斐くんにであったのが初めてですね。弾き語りがあって、ファッションショーがあって、、ってすごいイベントですよね。
オールジャンル芸術イベントだったんですね笑
ちなみに甲斐さんはその時からセッションバンドだったんですか。
まだバンドの形態ではなかったんじゃないかな。藤澤くんと来てました。
そうだったんですね。
藤澤くんが鍵盤で甲斐くんがギターだった気がします。
当時から甲斐くんは今と変わらないスタンスなので、ギターのこことここ押さえてやってみてっていう感じでいきなり参加させられましたね。笑
コードしかわからなかったんですけど、5フレットあたりで弾いててくださいっていわれて笑
さすがですね。笑
そして甲斐さんも今は大所帯のバンドになっていてすごいですね。
どんどん大きくなっていきましたね。
浩実さんが入られた頃はまだ数人という時も多かったんですか。
はい。多かったですね。一人一パートだったのでね。今はありがたいですね。当時は一人でぶっ続け数時間もよくありましたね笑
場所も今ほどは色んな場所ではやってなかったので、クラブとかでやってましたね。集合が11時とか笑 そして終了は3時とか。笑
みんな次の日仕事行ってました笑
なかなかハードですね。
浩実さんは甲斐良信セッションバンドの変遷を見てこられたわけですがどう思いますか。
そうですね。結婚と出産を挟んで休んでいた時期もありますがずっと見てきましたね。
甲斐良信 Session Bandメンバーとしての活動
人生におけるターニングポイントも経て、セッションバンドとともに歩んできたんですね~。ちなみに思い出の曲や思い出の場所はありますか。
昔、産休に入る前は、クラブでやった時は衝撃でしたね。
ちなみにどちらのクラブですか。宇都宮ですか?
オリオン通りにあるπですね。今もあるのかな?
あ!πさんですね!今もありますね!
ガンガン飲んでる人が集まってる頃に行ってて、こういう活動してなきゃ来なかったなーと思いましたね。笑 異文化でした笑
その時は甲斐さんのバンドだけで長時間演奏されてたんですか。
ラウンジ演奏だったときもあるし、それがきっかけでセッションバンドとラッパーとDJと、というようなジャンルごちゃ混ぜの対バンでしたね。弾き語りをしたときもありました。
オールジャンルですね笑
今は飲食店としてもやられてますよね。いつかπさんにも取材行きたいなと思ってます。
そうですよね。ダイニングみたいな感じですよね。
入ったら「照明暗っ!」っていう記憶がありますね。笑
なので、産休明けて栃木市の山車会館でやったりとか、ララポケットでやったりとか今できてるのがそれはそれで印象的ですね。やらせてもらえるならどこでもというスタンスは変わらないと思うし、ありがとうございますという姿勢は変わらないし、甲斐くんが現場取ってきてる印象はあるんですけど、やっぱりいくら意欲があっても、名前が通ってたり、演奏の実績がないと声もかからないと思うので。山車会館でやりますって言われて、写真見たときびっくりしましたね。「えっ?ここでやるの?」って。甲斐くんすごいな。ここまで来たんだなって。
いや~本当に規模が大きくなってますよね。おそらく内側から見ても、外部の方から見ても、規模感の成長すごいですよね。
休んで帰ってきたら異世界でしたね。
えっ?昼間はペニーレインで演奏するの?って。クラブで演奏してた頃とのギャップがありますね。全然違う雰囲気で。
タイムスリップしたみたいな感覚ですね笑
そして最近は若い方や、最近始めた方もどんどん参加してて、宇都宮の音楽シーンも成長してますよね。
本当にね~。すごいですよね~。
宇都宮で音楽活動してみたいなーとか、セッションしてみたいなーという方に何か、「こういうところが楽しいよー」とか「こういうところを意識してるよー」とか何かあったりしますか。
そうですね。楽器を演奏してくれる人のつてがなくて弾き語りしてた身なので、やっぱり現場に行ったら、それぞれの楽器を長く続けてきて、その楽器が大好きっていう人がいっぱいいるっていう環境が恵まれてますね。そしてバンドを組んでしまうと、自分以外の同じパートの人と接する機会ってあまりないじゃないですか。同じパートの好きなジャンルが違う人と会えたりするのが良いですね。例えばカトリナさんはR&Bとかソウルな歌声でかっこいいなって思うんですけど、私はクラシック出身なので、全然違う人と会えるっていうのは刺激になりますね。
良いですねー。そうですよね、刺激になりますよね。
そしてそういうのでなくても、歌一つとっても色んな人がいるし、ギターも色んな人がいるんだなーって、音楽を多面的に見れるんですよね。
うわ~。今良い言葉いただきました!
バンドなんだけど多種多様な人が集まっているという感じですね。
確かに。ある意味交流の場のようになってますね。
なので面白いですね。
音楽始めたばっかりで、どういうのが好きか分からないっていう人も、こういう種類があるんだなっていうのが感じられると思います。ジャズバンドですが、ジャズ以外の方もたくさんいるので。なので初めての方も参加して欲しいですね。
素晴らしい。素敵な空間であり、バンドでありって感じですね。
ぜひ多くの方に参加して欲しいですね。
それぞれの色が出せて良いですよね。
ジャズだけよりも奥行きが出るかもしれませんね。
ジャズを極めた方のジャズももちろんとても良いですが、甲斐良信セッションバンドのごちゃまぜの感じもまた良いんですよね
中山浩実のmusic life
ちなみに、先ほどクラシック出身というお話ありましたが、影響を受けたアーティストやジャンルってあるんですか?
私自身がかなり雑食なので笑
クラシックもあまりなのかな。演奏はしてたけど聞いてはいないかもです。
ピアノだったらショパンが好き、歌だったらドビュッシーという感じです。そしてクラシック畑の中ではポップス大好きなほうだと思うんですが、ポップスだったら母の影響でユーミンとかですね。ユーミンは曲を作るうえでかなり影響を受けましたね。あとは椎名林檎ですね。
いいですね。セッションバンドでも椎名林檎の曲はたくさんやりますもんね。
嬉しいですね~。
浩実さんお一人の中にも色んな要素があって、さらにバンド編成になるとまたそれぞれの色があって、とてもカラフルになりますよね!今後も甲斐良信セッションバンドの成長と、そして色んな方が音楽に興味を持ってくれればいいですよね。
はい。色んな方に音楽始めて欲しいですね。
UMFのこの雑誌も、宇都宮の方、市外の方、音楽やってる方、やってない方、皆様に届くような雑誌にしていきたいですね。
ほんとに。ぜひ音楽聴くのが好きだけれど、やったことない方とかにも届けたいですね。
いや~初回が浩実さんですごく良かったです。最初から間違いないとは思っていましたが、経験もジャンルも様々で、今後この雑誌がやっていきたいことにとてもマッチしてました。ありがとうございました。
しゃべりすぎました。すみません笑
いえいえ、最高でした!
ありがとうございました。
ありがとうございました。
編集者
栃木県日光市出身のシンガーソングライター。ソロ活動と並行して甲斐良信セッションバンドのラッパーとしても活動している。YouTubeチャンネル「ドラゴンカッター福田」では、ギター弾き語りやbeatbox、ラップの動画を多数公開中。